なないろ リハーサル

2025年2月12日 13時16分
なないろ

なないろさんは、「ときめき学習発表会」に向け、最後のリハーサルを行いました。

みんなのりのりで、動きも声もよく出ていました。

コミセンでの本番が、とても楽しみです。

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河野小で見つかった「踏絵」の秘密(その4・夏休み編)

2023年9月7日 08時28分
河野小学校日記の3月1日、6日、8日で紹介した「踏絵」について、夏休み前後に動きがありました。地元の研究団体「風早歴史文化研究会」の皆さんに2回にわたって来校いただき、これまでの経緯を説明させていただきました。
その中で分かってきたことです。 
○踏絵には、初期は板踏絵で、その後真鍮踏絵となっていったこと。
○踏絵を使って信者かどうか見分ける「絵踏(み)」は、全国的に行われたのではなく、九州が中心であったこと。
○教科書等でよく見る真鍮踏絵について、製造された枚数はとても少数であること。
文化庁「文化遺産オンライン」によると、本校と同じデザインの「真鍮踏絵 聖母子像(ロザリオの聖母)萩原祐佐作 江戸時代・寛文9年(1669)」について、次のように説明があります。  
「踏絵は幕府のキリシタン取締りの命を受けて、信徒判別のために寛永の初め頃(17世紀前半)から実施されたといわれる。奉行所ははじめキリストやマリアなどを銅板や布に油彩した画像(聖画)を直接踏ませていたが、消耗が著しかったため、信徒から没収した外国製の銅牌を木枠にはめこんだ板踏絵を製作し、さらに日本の鋳物師に鋳造させた真鍮踏絵を作って人々に踏み絵を強制した。真鍮踏絵の作者は鋳物師の萩原祐佐とも、長崎の銀屋町の工人ともいわれる。1日で20枚が造られたが、輸送中に1枚が海中に沈んだとされ、現在では19枚が残っている。図様はピエタ、十字架上のキリスト、聖母子像などであるが、図は磨滅したように不鮮明で、急仕立ての仕事であったことがうかがえる。」
 さて、本校の踏絵について
 「本物であれば重要文化財級だ」「真鍮製とあるが、本校のものは青銅ではないか?」「摩耗の様子からは実際に使われたように感じられる」といった感想をいただきました。
 
ここに至り、後世につくられたレプリカ(複製品)ならば同じものが現存しているのではないか、という視点から調べてみることにしました。
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(3月1日の河野小学校日記)

2023年3月1日 13時06分

この話は、今年の1月にさかのぼります。

地域の方から学校に「河野小学校に踏絵がありますよね、今度、大学の先生と一緒に伺いますから、写真に撮らせてください。」との電話が入りました。

「踏絵って、あの江戸時代の踏絵ですかね、誰かどこにあるか知ってる?」と職員室で問い掛けますが、本校勤務が長い先生も知らない様子。郷土室を手分けして探しましたが、見つからず。じゃあ最後に、と探した校長室の金庫の中に、そのものずばりの「踏絵」がありました。

 

小さな箱に入っていたのは、ずっしりと重い踏絵。職員室でも驚きをもって迎えられました。

そして、添えられてたのは、この踏絵が見つかった経緯を記した昭和58年当時の記録。そこには、江戸時代に使われていた本物の可能性もあるのとの記述が。

確かに表に描かれている絵は、東京国立博物館が所属するものと似ている気がします。

(文化遺産オンライン:https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/409288

さて、これは一体どうしたらよいのか、その2に続きます。

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